塾長ブログ

2017.07.29

迷宮

長時間残業をしても残業代がかからず、専門でないものも一生懸命やり、研修は自費ですませ、休暇もたいして取らない。そんな夢のような労働者がいれば、ぜひとも採用したいと考える事業者は少なくないでしょう。どんな困難な状況でも、「仕事のため」という魔法の5文字でなんでもこなしてくれる、とはありがたいことです。しかも、若者の希望者は後を絶たないという夢のような状況です。

そもそも論なんだけど、「学校の先生」が労働者か聖職者かなんていう議論は脇に置いておいて、「学校の先生」は労働基準法などの法律に当てはまる仕事なんだろうか、とも思います。もっといえば、「学校」の本来の姿を法律・社会のシステムに当てはめようとするところに問題があるのではないかなぁ、と。ちょっと前までは「学校の先生」、そして今は「事業者」であるからか、そんな思いを持ちます。

前提なんだけど、学校の役割は、「子ども(自動・生徒・学生)の成長のサポート」ですよね。モノを売るわけでもなければ、何かを作るわけでもない。だから、その成果がなかなか見えない。もちろん、学力が伸びた、非行が減った、ほらー、俺の○○はすごいんだぞぉ!という、かつての私がそうだったような子どもっぽい「無理やり数値化」自慢がいたるところでなされていますよ。でもさ、そんな学校はぜんたいのごくごく一部で、違う学校だっていくらだってあるわけですよ。学力が高いけど、学級崩壊していたり、盗みが多かったり、いじめがあったり、なんていう「負の側面」を持っていても、クローズアップされないですよね。ほら、甲子園を目指す強豪校だって、ホニャララ・・・(以下自粛)。

それに、児童・生徒・学生の成長は数値化できないし、答えがすぐに出てくるわけでもありません。

「人生のゴールは死である。だから死を見つめることで人生は豊かになる」と河合隼雄氏が著書でよく書いておられるけど、それを読んでいた20代の時にはよく分からなかったけど、40代になるとすごくそれが分かる。「北斗の拳」だって、10代の時の楽しみと、40代の時の読みとでは、全く違う。人生の経験を積めば積むほど、分からなくなることも多い。許せることも増えてくる。成長すれば、本人の物差しは変わってきます。

「成長」ということばは分かるような、分からないような単語です。「生徒の成長」とはいうけれど、「どのように成長するか」は聞かれないし、答えがない。宗教者を目指す成長と、政治家を目指す成長、そしてアウトサイダーを目指す成長は、ぜんぜん違うわけです。職業が「立派」だとしたって、奥さんや彼女に暴力を振るったり、相手のお金を使い込んだりするような、カス男だっていくらだっているようです(これ、男はよく知らないケースが多いですよね)。

持っている力が10だとすれば、その10をエゴグラムの要素にどのように当てはめていきたいか。成長とは、持っている力を10→11にすることだけど、増えた1をどのように使うかは、本人次第になってくる。

長々と書いたけど、学校の役割という「子どもの成長のサポート」は、数値化なんてできないわけです。「成果」が数値化できないし、職業上の課題解決の答えがない、という珍しい仕事なんです。そして、答えがないということは、「模範解答」がないことでもあり、Aさんには不正解でも、Bさんには正解だったり、します。

その一方で、答えがない、ゴールがないから、負の側面が生まれてしまいます。たとえば、テキトーに働いてもなんとか組織は回っていきます。

だから、管理者は管理しようとするけど、管理するための物差しがないわけです。だから、管理者の人間性で、管理するしかないという、よくわからない管理方法しかないし、管理方法がなければ、法律に当てはめることもできません。そのため、「人となり」「本人次第」というゴールが必然となります。

「事業者」としての立場でいうならば、模範解答のない「成果」を上げる、ということはやりたくないですよね。

学校には「合理的非合理」がいくらでもあります。たとえば、勤務時間中に外出をする人もいるし、昼食を食べることもあるし、雑談もする。
しかし、それは勤務時間で帰れないから余裕を見つけて銀行などへ外出する必要があったり、昼休みには打ち合わせや生徒指導があるから昼食を事前に済ませたり、生徒理解のために雑談だって必要になってきます。すべて規制したら、生徒も教員も学校も困ってしまいます。(誰も幸せになれない)

模範解答のない答えを探せない矛盾の原因を、「合理的非合理」の「非合理」にのみ答えを探そうとするようでは、どこかおかしくないですか。

 

どうすればいいのか? その答えもないですけど、その答えのベースとなるのは、その先生の哲学です。(やっぱり答えがない)

学力を伸ばすことに重きを置く先生もいれば、自分なりの生き方を大切にする先生もいるし、部活動を通じて生徒の成長を願う先生もいるでしょう。答えがないからこそ、学校の先生は多様な人材が必要で、その多様性をまとめるのは、法律やルールではなく、トップの人となりです。

結局は、答えがないという結論となります(笑)