Chief blog塾長ブログ

2022.05.12

学校の外部からの仕事はやめよう

「元教師」という肩書きも賞味期限が切れてきているが、現場の先生方が言いにくいことを書いてみたい。

大前提として、私は学校の先生は全く世間知らずだとは思わない。時間を守る、仕事には真摯である、まじめである。もちろん、誰しもが聖人君子ではないのであらを探せばいくらでもあるが、それは人間そのものであるだけだ。

民間企業(創立約40年)の会社の代表になってから、多くの人と会う機会ができた。銀行員がまじめかというと、それも人による。代表になった直後に取引先銀行(地銀)の担当者は、約束の時刻より数分ほど遅刻をしてきた。それを謝ることもなかったので、「10時30分に約束でしたよね」というと、時計を見て彼は「そうでしたよね」とひと言いうだけであった。その後に変わった営業氏も約束を破るのでクレームを入れたところ、副支店長が謝罪に来た。その謝罪の時刻も10分以上の遅刻。(結局、その銀行とは取引をやめたが、卒業生校が入行したので取引を再開したけど) これ、学校の先生だったら100%ありえないような案件ですよね。

「学校の先生は世間知らずだ」という人は、その人自体が世間知らずのことが多い。もちろん銀行員も、学校の先生も、十把一絡げにすることはできない。しかし、トータルで考えると学校の先生はまじめで、真摯であると私には思われます。ただ学校は性善説で物事が進むために、性悪説で進む世間との乖離はある。(実際、私もそれで現職になった当初は苦労した)

そんな先生方だからこそ、仕事に手を抜けない。自分たちがやりたい仕事・生徒のためにやるべき仕事だけで進むならいいのだが、「研究指定」などの外部的な仕事が入ってくる(多くは校長が持ってくるというか、依頼されて引き受けるというか)と困ってしまう。しかも、「はじめるとき」は一瞬なのだが、「やめるとき」が分からない。昨年度も行ったから今年度もやりましょう、そして今年度には新しい仕事が入りました。その翌年度には、、、となり、「外部の仕事」が多くなり、これがキツくなる。

ルールとして、外部の仕事は年限(最大で3年以内)を決める、その期間は定員を増やすということができないだろうか。授業と担任、校務分掌、部活動以外は原則的にやらないという姿勢を示さない限り、学校の先生になりたがる人は少なくなるだろうし、定着率は下がるだろう。授業だって、LHRを含めて週15時間を上限にできないか。

土日の部活動には1分単位での「休日出勤手当」を出すことが当然だ。出勤する管理ができないのならば、出勤させてはいけない。ちなみに、トラブルになったときの責任の所在はどこにあるのか? これは民間の経営者の視点で最初に考えられるところだけど、それを意識せずに土日に職員が学校に来ているという状況は「世間知らず」だけど、その「世間知らず」は、雇用者である自治体や文部科学省に投げかけられるものだろう。

学校の若い先生に集中してもらいたいのは、担任と授業。校務分掌の中心は、担任を持っていない先生が引き受ける。それ以外の仕事は二の次でいいし、外部の仕事は原則廃止でいい。教員免許状の更新制がなくなったのに、それに代わる「研修」を求めるのもおかしいだろう。「研修」がアップデートを求めるものならば、毎日の授業の準備それ自体や、担任としての仕事の積み重ね自体が「研修」そのものなのだ。

担任と授業が学校のコアとなるものであり、どんな組織でもコアに力を入れなければ、継続性は失われるものです。

2022.05.06

塾・予備校講師的職業的倫理観

昔からいわれていることを、さも自分が発見した、自分の所属しているところでは、という講師がいる。その是非を問うものではないので深くは入らないが、ご存じのあの方のことです。確かに、onは「接する」とは多くの人が学生時代に習ったことで、「新たな発見」ではない。「石の下には小さな虫がたくさんいるんだよ!」と、子どもが庭で誇らしげにいう「発見」と同じレベルだろう。

件の講師のいうことに、「そんなことは新しい発見ではないだろう!」という当然の突っ込みがでる。昔の参考書にも書いてあるし、「そう習ってきた」人たちも少なくないからだ。「誰に小さな虫がいることを聞いたの?」という問いに「自分で!!」と子どもが答えるならば微笑ましいが、いい年の大人が自分の発見のようにいうのはおかしいということは当然のことだろう。

ただ、これが法律違反なのかというと、そうではないでしょう。関係者はきっと職業的倫理観が異なるから反応してしまうのでしょう。この職業的倫理観は人それぞれだし、自分のポジションを正当化できるものだから少し面倒くさい。

この職業的倫理観を前面に出すと少し皆さん、面倒になりませんか? 塾や予備校の倫理観はどうなのかなと私は思うことがあるわけです。えげつないことをしていませんかね。いちばん感じたのは、コロナ禍で休校が決まっているのにも関わらず、ギリギリまで既卒生を募集していた大手予備校。休校期間に報酬を保証されていた講師の先生方にとってそのお金を受け取ることは職業的倫理観には抵触しなかったのでしょうか。
既卒生がどんどんやめていく状況はどう思うのか。生徒の名前と顔が一致しないことはどう思うのか。東大に入れそうな生徒を無料の「特待生」にして、その生徒たちの実績を前面に出し、有料の生徒を入れることはどう思うのか。自分たちが働いている組織のことは何とも思わないんですかね。不祥事を起こした講師をHPからスッと削除するところだってありましたよね。

「それは生活があるわけですから」というのであれば、自分が傷つかないような「職業的倫理観」を前面に出すのは大人げないかなぁ。もちろん、「自分たち独自なものだ」という人が正しいといっているのではなく、ポジショントークと思われることを絶対安全地帯から正義感の顔をして批判をすることは、大人の振るまいとしていかがなものかと思っているだけです。

自分の理想を前面に出すならば、自分で塾を起業すればいいだけですよね。もちろんリスクはありますが、思い通りのことはできます。(私は起業する人と政治家に立候補する人には敬意を持っています)

そうですね、私は自分にとって理想だと思うことを進めていくだけですかね。

2022.04.21

「高1ショック(英語)」を回避する方法

高校1年生の授業はおそらく本格化していないでしょう。入学式の後で、学年集会やガイダンス、健康診断などで授業もつぶれることも多いでしょうから、ゴールデンウィーク前までの授業はゆっくりと進んでいきます。しかし、本格化していないこの時期の授業でさえ、難しくなってきているのではないでしょうか。

高校生になると、「分からない」ポイントがひとり一人違います。「高校生としての英語」を学習していくための土台が中学校の時にできあがっていないため、高校での英語が身につかないのです。世の中に「基本的な参考書・問題集」を意識しているものは少なくないですが、効果が出にくいひとつの要因が、「土台作り」を著者に見えていないからです。これは、生徒を観察しながら授業を作り上げている高校や塾・予備校の先生しか分からないでしょう。

高1ショックのいちばんの原因は、「分かっているようで分かっていない部分」「分かっていないのに、分かっているふりをしている部分」なんですよね。

例えば節と句の違い。「これは理由を表す副詞節で・・・」と授業でいわれれば、生徒は分かったように振る舞います。だって、周りを見ればみんな分かった顔をしているから、本人も分かった顔をしているわけです。

that節もそうです。比較的、I think that SV.に代表されるような動詞の目的語のthat節は分かりやすい。補語もやや分かりやすい。ところが、名詞と同格のthat節や、I’m sure that SV.のように副詞節を導くものとの連携になるとお手上げ状態になる。that SVを「SVということ」と覚えていると分からなくなるんだけど、だったらI think that SV.のthat SVを「SVということ」と教えなくていいのかというと、そうでもない。こういう部分は、教える側が「こう教えるべきだ」「このように理解すれば分かるようになるよ!」とするのではなく、生徒の反応を観察しながら教えていく必要があるところです。だから、与えられたテキストだけで教えてはダメで、自分で教科書を「料理」しなければならない。

このように、生徒を観察すれば、英語の「高1ショック」を引き起こさせないことができるのです。そして英語の高1ショックを回避できれば、高校生活も楽しくなるし(勉強が分かれば学校生活は楽しくなります)、大学受験も乗り越えられる可能性が高くなる。

現在、Sアカデミーの高校1年生の授業は、「高1ショック」を乗り越える講座になっています。今いるメンバーを見ると、1学期だけで問題がないでしょうから、そのメンバーは夏休み以降はほかの先生にお任せすることで、「脱高1ショック」→「発展的高1英語」にランクアップし、新規講座を夏休みから始める予定です。

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