Chief blog塾長ブログ

2022.03.14

あるべき自分に落ち着く(中学3年生への最後のHR)

私はLHR的な話を生徒にします。「LHRは『担任という宗教の時間』だよ」といわれたことがありますが、それに近いかもしれません。親が言いにくいことを話したり、彼らの持つ悩みが自分だけではないということを話したり、時には中学生的に理解できる人生の甘酸っぱさも(笑)。これは中学生としての彼らに宛てた最後の文章です。

子どもが生まれたとき、親はいろいろな心配をします。歩くのが10ヶ月だ、11ヶ月だ、12ヶ月だと他の子よりもちょっとでも早ければ喜ぶし、遅ければ心配する。おむつが外れるのが2歳前だと誇らしげになり、3歳過ぎると心配になる。今になってみれば、「なんでそんなことを気にしたのか?」とみんなは笑うかもしれないけど、親ってこういうことになぜか真剣になる人が少なくない。当然のことですが、皆さんの中に、歩けない人はいないだろうし、おむつの人もいないでしょう。親だって「なんで数ヶ月の差を気にしていたのか」を思い起こせばで笑ってしまうと思います。(かくいう私も、長女が積み木を噛んで口の中にうっすら血がにじんだだけで、救急車を呼んだ経験があります;笑)
親の心配は、思春期にピークを迎えます。皆さんは親との関わりよりも友人との関わりを大切にする部分が増え、親にいわない「ヒミツ」が生まれてきます。これは人間の発達段階として当然のことですが、親は親でそれは心配になります。ヒミツにしていいことと、ヒミツにすると大やけどしてしまうことがあり、ほとんどは「ヒミツにしていいこと」なのですが、時には「大やけど案件」もあるから親は心配なのだといいつつ、その裏には子離れできない現実もある。
思春期の若者との関わりを仕事にしていると、「親の心配vs子どもの自立」のせめぎ合いをよく見てきます。保護者の方は悩むことも多いかもしれませんが、あと数年もたてばおむつや歩行と同じように、「なんであんな風に心配していたんだろう」となりますし、そもそも私たちだって思春期の時はそうだったのではないでしょうか。私なんて、今の子どもよりも、ずっっっっっっと面倒くさかった自信があります(笑) 中3生の皆さんは、そういう親の心配を納得しつつ大人になってほしいし、20年とか30年もすれば、同じような「悩み」を持つかもしれません(笑) だからこそ、たまにで構いませんので、保護者の方に本音で話をしてみましょう、それが親孝行です。

ずっと先のことになりますが、50歳になるときには、どんな学校を出ようと、どんな就職をしようと、居心地の良い「あるべき自分」にいるのではないかと思います。「何か自分でやってみたい」という思いは高校生の時から持っていた私が教員を辞して会社を継ぎ、自分で起業し、これからも会社を発展させようと新規事業を計画しています。そしてそれが今はともかく楽しい。おそらくどんな大学で、何を勉強したとしても、なにかを計画し、発展させるという自分の「星」は変わらなかったと思う。
周囲の友人も同じです。中高と仲の良かった友人は、大学で外国語を勉強していたと思ったら、20年後には医者になっていた。金融機関に就職した友人がwebデザインの会社を起業していた(彼が当塾のHPを作っています)。証券会社に勤めていた友人が太陽光発電の会社を起業していたり、投資家になっていた。ゲーム開発をしていたと思ったら、某スポーツの実況中継アナウンサーになっていた。公務員になったと思ったら、今でも公務員だった。みんな落ち着くところに落ち着いている。それぞれみんな生きがいをもって生きています。

おそらく君たちも同じことです。今は4月から入学する高校に一喜一憂していることでしょう。今週には高校での説明会があったり、鬼のような分量の課題があったりし、今までの友人関係も変化がでてきます。卒業・進学は大きなイベントではありますが、それで人生が始まったわけでも、終わったわけでもなく、あえていうなら「刺激」のようなものです。自分が進むべき道へ進みなさいよ、という「刺激」のようなものです。
人生を豊かにするためには、自分自身を鍛えることだけです。思うだけではなく、実際に活動したり、勉強したり、友だちと話をしたり、読書をしたりして力を蓄え、社会に出たときにそれを生かしていく。(社会に出ても勉強は続けなければならないけど) それが自分の人生を豊かにするだけでなく、周囲の人の人生も豊かにし、その延長線上には世の中の繁栄につながっていくと私は信じています。皆さんの力は皆さんのものでもあるけれど、世の中のためのもの=公共のものでもあるのです。だから勉強は自分たちのためだけに行うのではなく、社会のために行わなければならない。
どの場所でも自分を鍛えられる人、自分のなすべきことをできる人が立派だと私は思います。たまに高校の先生でいました、「うちの学校の生徒だと勉強を教えても無理だよ」という人が。そういう人はどの学校でもたいした授業なんぞできません。本当にできる人、尊敬される先生は、どの学校でも生徒の成長を援助していました。どの場所でも自分の役割は見つけられるし、果たすことができる。そのためにも基礎学力を充実させ、自分の力を高めていくことを心から願っています。