Chief blog塾長ブログ

2022.06.07

Sアカデミー的教育哲学1

本社の経営者としては合理的な判断をしているつもりですが、教育に関しては合理性よりも「こだわり」があり、これが当塾の個性になっています。私たちの自己紹介として、「生徒的視点」と「塾的視点」でこの「こだわり」考えていきます。

  • 人は幸せになるために生きている

これは、私の教育哲学の原点です。私たちは誰かの奴隷でもなければ、誰かの幸福に奉仕するためにいきているのでもなく、幸せになるために生きています。

  • 自分の人生を自分で選び、責任を持って歩んでいく。その歩みが社会正義に反しない限り、その生き方は周囲から批判されるべきものではない。

幸せかどうかは、人生のゴールである「死」の時に判断されます。「自分は生きてきて良かった。それほど悪いものでもなかったかな」と自分が思え、「この人に出会えて良かった。ありがとうございました」と周囲が思ってくれれば、成功だったと私は思います。いかに権力を持っていようと、お金を持っていようと、知名度を持っていようと、「死」を前にすればみんな平等であり、自分の心を向き合う瞬間がやってきます。そのときに満足できることがゴールの最大の目標なのではないでしょうか。「社会的役割」とは「周囲からの評価」に直結するもので、それを悪用する人は周囲からの評価は上辺だけのものになるんじゃないかな。死んだことがないので分かりませんが、死を迎えるときに人間の感覚は研ぎ澄まされるのでは? そして、自分に対する評価にはごまかしがききません。自分のことはだませません

  • 自分のためだけに学ぶのではなく、周囲(社会)のために学ばなければならない

私が訪れるお店に「ねぎま屋」(JR西千葉駅前)というお店があります。ここの親方(店長)のホスピタリティだけでなく、バイトの学生さんの明るさ、料理のおいしさは、普通の居酒屋のレベルではなく、本社の忘年会や暑気払いはすべてこちらでお世話になっています。親方の明るさや料理へのこだわりというのは、もちろん親方自身のものではありますが、修行をし、ホスピタリティを学ぶことで、お客さんにも役に立っています。

自分のことを鍛え、能力を伸ばすことで自分の達成感や自尊感情につながるだけでなく、他者や社会のために役に立つ。

いま、中高生の皆さんは「なんのために勉強するのか」と思うこともあるでしょう。それは、自分のためだけでなく、あなたの周りの人や、10年後、20年後にあなたの力を必要とするまだ見ぬ人のためなのです。