Chief blog塾長ブログ

2022.06.18

教員不足に思うこと

教師が足りないといわれてもう何年でしょうか。待遇が悪化していたり、教員免許状の更新制があったり、「望まれること」が多かったりと、ネガティブな要素があまりにも多いから、純粋に職場としてみたら、魅力的ではないでしょう。サービス残業も普通のことだし。

「聖職者」か「労働者」か。そんな問いはあまり意味があるとは私には思えません。人間なのだから「労働者」です。誰しもが生きるため、生活するために働き、賃金を得ているわけです。教師も例外ではなく、生活するために働いているのだから「労働者」です。弊社はビン缶などの回収を行っている部門もありますが、その回収時に感謝され、こういうありがたいメッセージをいただくこともあります。

もちろんうれしいことではありますが、だからといって、「感謝されたのでお金をいただかなくて構いません」とはなりません。労働者として働いていますので、「決められた時間に約束した仕事をしっかりと果たす」という契約で仕事をしているのであるだけで、そもそも感謝されるために仕事をしているわけではありません。お金で表せない「精神的な報酬」として感謝は嬉しいですし、モチベーションのアップ、社内の雰囲気にはとてもプラスにはなりますが、だからといって「+αの仕事をただで行いましょう」というのはあたりません。もし純粋な好意でディスカウントする業者がいると、その業界自体は崩れていきます。それは中期的に消費者全てにマイナスになることは、飲食店を見ていれば自明のことです。

 

 

学校も同じです。先生方は労働者です。ただ、結果的に「卒業生から感謝される」「生徒から感謝される聖職者的な一面」を経験することがありますが、それはラッキーな+αのことです。

30年ほど前は、教員の待遇もそれなりに悪くなかったようです。定年近くの年収は1,000万円近くあり、夏休みの勤務もそれほどうるさくもなく、研修も取りやすかったと思います。(当時は土曜日勤務の振替が夏休みという事情はありました) もちろん、その当時は???と思うような慣習もありましたが、少なくとも労働条件は今よりもずっと悪くありませんでした。だから、「サービス残業」に文句をいう人はほとんどいなかったし、土日の部活動は1回500円でも、それほど文句をいう人もいませんでした。(私の周りでは、です) 給与が高く、労働に裁量があるということは、そういうことなのでしょう。

しかし、「綱紀粛正」の名の下に、勤務条件が明文化され、「締め付け」が強くなりました。そして給与が安くなりました。「給与のフラット化」という名目で、30代以降の給与は上がらなくなり、退職金は年々下がり、教諭としての採用ではなく、「非常勤講師」「臨時任用」としての1年契約という不安定な条件の若者が増えてきました。校長先生だって、年収1,000万円には届きません。しかも相変わらず、残業代は出ない。そういう状況で教員を集めようとしても集まりませんよ。子どもの人数は年々下がり続けるのですから、若者が民間企業に流れるのは当然のことです。(その方が圧倒的に高い条件を提示される) 「経営」という発想をすれば、このくらいのことがどうして分からないのか私には理解でない。「やりがいがある」とはその通りですが、それと生活とは全く違うことです。

「いや、もっと低い条件で働いている人もいる」という批判もありますが、「もっと低い条件」の人を、「高めに合わせる」ようにした方が私はいいと思うんですが。。。

日本の教育を支えるのは学校です。決して、塾や予備校ではない。そういう職業的倫理観を持っている先生方は少なくないと思いつつ、困難な状況ではあるものの、心が折れることなく、先生方にはそう応援している市民がいることも知っていただきたい。

20年以上も掛けて教育条件を悪くして学校の機能を下げてしまったのだから、元に戻すだけでも同じかそれ以上の時間がかかるかもしれません。ただ、学校という場所には子どもたちがいるわけですから、そこから目を背けてはいけないし、リフォームを重ねていくしかないのです。まずは、学校の先生方の労働条件・環境の見直しをしましょう。話はそれからです。時間はもうそれほどありません。