Chief blog塾長ブログ

2022.03.08

中学3年生の皆さんへ

塾や予備校というのは「イメージ商売」の部分があります。「合格実績」がなければ生徒は集まりませんし、かといって、すべての生徒が合格できるわけではありません。だから、入ればみんな合格できる!というイメージを持たせるような「イメージ商売」の部分があります。問題となった(なっている?)ような合格実績の水増しや授業料を必要としない特待生の制度を大手になればなるほど作るのは、そういうことです。

当塾は合格実績の水増しや特待生の制度は一切ありません。成績が高い生徒も芳しくない生徒も、私たちを頼ってくれる生徒に区別はしません。ただ合格実績をPRせざるをえないのは、当塾が継続していくためであり、その継続することで、少しでも多くの中高既卒生に学力をつけていきたいと思っているからです。

ただ、私のポリシーは次の通りです。当塾の中学3年生に宛てたメッセージをご覧ください。

 

中学生としての皆さんとの学習も終わりました。中学生的な発達段階を経て、この数ヶ月間のみんなの学習はすばらしいものだったと思っています。学習時間と高い集中力。自習室でのその姿をみていると、自ずと授業の準備に私たちも気持ちが入りました。そして、皆さんは人間的な優しさにあふれています。周囲を思いやる気持ちがところどろこにあふれていて、そのたびに私も柔らかい気持ちになれました。その中学生活をまもなく終える皆さんに敬意を表するとともに、祝福をお伝えします。そして、サポートをなさっていた保護者の方には心から感謝申し上げます。

「努力は必ずしも報われるものではない」のは羽生結弦選手だけではありません。高校受験というひとつの課題を終えて、皆さんもそう感じているのではないでしょうか。合格した人も運が良かったからという部分もあるでしょうし、不合格だった人もおそらく紙一重だったと思います。結果というものは、「紙一重」のことがほとんどであり、最終的には運次第ということは大人なら誰でも分かっていることです。ただその「紙一重」までのステージに上がるためには努力が必要であるということも辛いことです。最終的な「運不運」はコントロールできないので、オカルト的な宗教がはやったり、「占い師」に頼る人がいるなど、人生経験を重ねた大人でも最終的な結果は不安であり、左右のどちらに行くかに自信を持って選択できる人は極めて少数です。

私の好きなことわざに「塞翁が馬」というものがあります。どんな話か、少し長いですが紹介します。(https://www.860903.jp/contents/trivia_2より)

中国の北のほうにお城がありました。そこに住むおじいさんの馬が、ある日逃げ出してしまったのです。逃げ出したことを知った近所の人々は、おじいさんを慰めました。しかし、おじいさんは「このことが幸運を呼び込むかもしれないよ」とあまり気に留めていませんでした。しばらく経ってから、なんと逃げた馬が戻ってきました。しかも、たくさんの馬を連れて戻ってきたのです。近所の人々は、喜びましたがおじいさんは「このことが禍になるかもしれないよ」と言うのです。しばらくすると、おじいさんの息子がその馬から落ちて怪我をしてしまったのです。近所の人々がお見舞いに行くと老人は「このことが幸運を呼び込むかもしれないよ」と言いました。やがて戦争が起き、この城も戦争に巻き込まれてしまいました。しかしおじいさんの息子は足を怪我していたので、戦争に行かずに済みました。
このエピソードから人間万事塞翁が馬ということわざが生まれました。

今回、志望校に行く人が充実した高校生活を送れるとは限りませんし、結果的に私立高校に行くことになった人が充実しないとは限りません。新たな場所でどんな友人と出会え、先生方と出会え、何を学び、何を経験していくかで、皆さんの高校生活の充実度は変わってきます。もっといえば、「いい高校を卒業し、いい大学を出て、いい会社に就職し、いい暮らしができるようになる」ことが幸せと直結するわけではありません。お金で不幸を回避することはできますが、幸せを得ることはできないのです。合格できたから安泰、そうでなければ絶望というわけでは決してありません。この意味は数ヶ月後に皆さんは分かるでしょう。

もし、1年前に戻ることができたら、みなさんのこれからの1年間は、実際に過ごした1年間とは違うものになるでしょう。「あの時にこうすれば良かった」というのは、多くの君たちが感じていることだと思います。
これはとても大切なことです。
私たちは実際に自分たちが経験したことから学ぶことが多く、人に言われたことからはあまり学ぶことができません。これは、皆さんのご両親だってそうだったでしょう。人間が他者からのアドバイスを素直に受け入れられるのであれば、人類はもっと賢くなっているでしょうし、世の中には貧困や争いはなくなっているに違いありません。しかし現実はそうではない。成功したという結果よりも、その途中の努力からや失敗したことからの方が私たちは学ぶべきことが多いのです。皆さんには学ぶ人であってほしいと願っています。
高校受験は確かに人生の大きなイベントではありますが、これは最後のものではない。大学受験や就職、結婚など人生にはたくさんの岐路があり、これはおそらく私たちが最後の日を迎えるまで選択を迫られるでしょう。人生が始まったばかりの皆さんにとっては実感がわかないことを承知の上で、そしてアドバイスを人間はなかなか受け入れないと分かった上で申し上げますが、人生は長いし、これで受験が終わったわけではないのです。まだまだ人生はこれからです。

英語で「天職」をcallingといいます。「呼ぶ」のcallにingがついたものです。これは「あなたのことが必要だ」とcallされるところで働くことがいちばんすてきな仕事だからだと私は勝手に思い込んでいます。合格を与えてくれた高校は皆さんをcallしたところです。そこでこれから3年間を学び、力をつけ、社会に出たときにcallされる基礎を作ることを心から願ってやみません