Chief blog塾長ブログ

2023.12.31

千葉県の公立高校の人気が下がり続けている理由

公立高校の人気が落ちています。公立高校を志望する中学生の割合は平成30年度より、75.3%→74.5%→73.1%→72.5%→73.3%→70.7%と下がってきており、今年は70%を切ることが予想されています。

公立高校の先生に、この理由はなんでしょうかねと尋ねると「校舎が古いんだよね」といわれることが多いのですが、私にはそれだけだとは思えません。進学実績や部活動だけで生徒が集まるわけではありませんし、生徒に寄り添った教育を行っているというような抽象的なことばは相手に伝わりません。ビジネス的な観点で考えれば、これらは当然のことなのですが、公立高校の努力の方向がちょっと明後日の方向のような気がします。ちなみに、瞬間的に生徒を集めるならば制服をスタイリッシュに変えるのがいいですよ。

公立高校が足りないことの1つは個性です。

私立高校は個性(伝統)がありますが、公立高校には個性(伝統)が薄いのです。私立高校は創立の哲学があり、理事長というその哲学の伝承する立場の人がいて、その哲学にあった先生方が働いています。「この学校の哲学は自分には合わない」と思う先生はすぐに辞めていくでしょう。個性を打ち出すことで、中学生100人のうち5~10人がファンになってくれればいいのですから、この戦略は実用的です。

一方、多くの公立高校には、私立高校ほどの創立の哲学はありません。理事長もいませんし、先生方は人事異動で赴任してきます。「個性を打ち出そう」としたところで、それを伝承する立場の人もいませんし、「自分に合わない」と先生が思っても、数年間はその学校で働かなければなりません。

ただ、簡単に「個性」といっても、公立高校で「個性」を出すことは難しいですよね。これは仕方のないことです。

足りないことの2つ目は営業力です。

私立高校は個性を前面に出している上に、営業も行っています。個性あるきれいなホームページを持っていますし、学校案内も専門のデザイナーに依頼しているようなクオリティです。本当にきれいです。また、広報担当の先生は中学校だけでなく、学習塾にさえ営業に行っています。

公立高校には営業力がありません。ホームページも私立高校に比べれば残念だし、学校案内も残念なケースが目立ちます。候補の担当の先生がいないので、管理職の先生が中学校に行っても、学習塾には行きません。

3つ目が在校生の満足度です。

統計があるかどうか分かりませんが、在校生の満足度は圧倒的に私立高校ですね。自分の学校のことを悪くいう生徒は私立高校にはいませんし、「あなたの通っている○○高校はどういう高校?」と聞くと、教えてくれます。(これは、個性にもつながりますね) 一方、公立高校は自分の学校が好きだという生徒は、そこまで多くありません。「どういう高校?」と聞いても、はっきりは出て来ないことが多い。

 

公立高校の人気を復活させたくても、予算の関係でできることとできないことがあります。現場の先生は分かりやすい授業を行うことがベストなのかな。管理職の先生は、経営責任を持っているわけではありませんし、せいぜい2~3年程度しかいません。その間に「ボクがこの学校を変えるからね!」と意気込んでも、現場の志気を下げるだけだということは自覚した方がいいと思うんですよね。失敗したら財産を失う覚悟もないのに、「ボクが変えるよ!」というのはおままごとに過ぎないことが分からないボクちゃんがいることも残念です。公立高校の管理職は、制度的にリーダーにはなりにくく、サポーターとしての方が機能しやすいのです。

2023.12.05

教養とは思いやり

「教養は大切だ」と誰もが考えます。しかし、「教養とは何か」という答えは人それぞれ違ってきます。

私たちは、「教養は思いやりだ」と考えています。ものごとを知ることで世界を拡げ、ものごとを知ることで自分とは違う人が存在することがわかり、ものごとを知ることで相手の立場が理解し、その結果として思いやりを持てるようになります。だから、教養とは思いやりだと考えます。

世の中では、教養のある人には人が集まります。損得関係で集まるのではなく、「その人と話したい」「その人から多くのことを学びたい」と、その人のことが好きになり、集まってきます。教養のある人が尊敬される理由は、その人のことばには力があり、哲学があり、他者に対する思いやりがあるからです。

この教養の基礎は、小学校から高校で学ぶ基礎学力です。相手のことを理解するための国語、論理的な思考力を身につける数学、人々の暮らしや歩み・世の中の仕組みを学ぶ社会、科学的な思考を身につける理科、自分の世界を拡げていくための英語。家庭科や技術、芸術、体育は人間の幅を拡げていきます。全てが皆さんの教養のための基礎となります。

もちろん、私たちは学習塾ですので、学校のように全ての教科・科目を教えはしません。しかし、単に授業を教えるだけではなく、授業の根底には自分たちが教養を大切にしたいという思いを一人ひとりが持っています。単なる知識を伝達するのではありません。「分からないことが分かる」という経験を通じて、教養を持ち、達成感を持ってもらいたいという気持ちで授業に取り組んでいます。その結果が、GMARCH合格率200%という高い進学実績に表れているのです。

2023.10.31

千葉大学飛び級入学2名の雑談会

人生はいつ何が起こるか分からない、とはよくいわれることです。「人間万事塞翁が馬」ではありませんが、いいと思ったことが悪い結果を引き起こしたり、悪いことがよいことに転じたりと、将来は誰にも予想できません。学校や就職にしても同じで、第一志望に合格(入社)したから幸せになるかといえばそうとは限らないし、第二志望以下だったからといって暗黒化といえばそうでもありません。

先日、当塾で数学ⅠAを教えている松尾さんの同級生だった佐藤さんがお見えになったので、「せっかくだから」ということで、受験間近の中学3年生に「雑談会」をしてもらいました。松尾さんと佐藤さんについては、次の記事をご覧下さい。(おふたりは日本初の千葉大学飛び級入学生)

かなり踏み込んだところまで話を話してくれました。

松尾さんが、千葉大学工学部に入ってから、現在の福祉の仕事(彼は現場のひとりとして福祉の仕事に携わっています)に就くようになったか。佐藤さんが、工学部からトレーラーの運転手になったか。松尾さんは誘われて「面白そうだな」と思ったところに飛び込み、佐藤さんは人生の思いがけなかった部分が繋がっていくことに面白みを感じています。おふたりは、敷かれたレールではなく、人生を主体的に生き、自分の力を社会に還元させています。だから、話に厚みがあり、引きつける。とにかく面白い。

中学3年生は試験前だったこともあり、たった30分のシナリオのない『雑談会』でしたが、最後に佐藤さんが「塾や高校に行けることを親に感謝する」と話していました。どこの親も気軽に学校や塾の授業料を出せるわけではありません。高いお金を出してくれている保護者に感謝しつつ、勉強を続けていこうと話し、会は終わりました。

当塾では一部教科の講師を募集していますが、有名である必要もなければ、大手にいる必要もありません。(もちろん、学力は必要) 子どもの成長を願い、学びに対して謙虚である講師を探しています。(自己顕示欲が強い人は当塾にはあいません。) 弊社は学習塾中心の会社ではないので、「生徒数がー」という大手塾のようなノルマがあるわけではないので、「成績さえ上げればいい」という講師も必要ありません。日本の将来を担う子どもの成長を願うからこそ、学力をアップしたい、妥協せずに学ばせたい、学ぶことのモチベーションを大切にしたいという講師と出会いたいのです。

松尾さんと佐藤さん、おふたりとその後は食事会へ。ここで佐藤さんのパワーを知ることになり、そして来年度の話も少しできたことがよかったかな。Sアカデミーは「味のある講師」の集団になり、子どもたちが学力だけでなく、人間としても成長できる学習塾としてさらにパワーアップしそうです。

2023.09.23

来たときに必ず使える自習室

当塾は自習室へのこだわりがあります。

人間、最終的には自分で自分を教育するしかないので、自分で学ぶ習慣をつけたいので、分不相応な自習室を作っています。自習席は、生徒数の40%以上あるので、「自習室が空いていなかった。。。」ということはありません。来たときに、必ず使える自習室。

分からない問題があれば、事務室に来ると卒塾生チューターが教えてくれます。理系大学に通っているチューターもいるので、数学Ⅲの質問にも答えられます。

いつでも自習ができて、分からないところは質問ができる。中高生のときに、いつでも質問に答えてくれたチューターがいるので、卒業後には1~2年程度、チューターとして後輩の指導をしてくれる文化ができています。

自習室は、高校3年生12~1月は専用の自習席として使えます。いちばん大切なこの時期に、自分だけの自習席を活用して、全員が受験を乗り越えています。

2023.09.18

そのときの課題を最後まで行えば、大抵のことはなんとかなる

「教育虐待」の一因は学習塾にもある気がする。エビデンスはないので断言できないけど、子どもを取り巻く環境の1つに学習塾があり、「生徒数の目標」「売り上げ目標」のある大手学習塾は、保護者や生徒を脅かすことで多数の講座を取らせるケースがあるので、「教育虐待」の一因になっていると思うのです。(ちなみに、当塾は「営業電話」をかけることはほぼ100%ありません。)

教育を真剣に考えていくと、その人の人生が教科書になります。人間が生まれ、成長し、死を迎えていく時の発達段階の知識だけでなく、人間はどうして生きているのか、人生にとっての幸せとは何なのかという哲学も必要になってきます。保護者や生徒を脅かして多数の講座を取らせる人たちが使えるほど「教育」というのは軽い言葉ではないのです。

もちろん、中学生や高校生のときに、何かを学ぶことを疎かにしていいといっているわけではありません。子どもは、自分の課題の学習に全力で最後まで取り組み、保護者はそれを追い詰めることなく受け入れ、学校や塾は生徒を「ほどよく追い詰める」(これができない人が多いんだけどね)ことが大切だと私は思っています。学校や塾で「脅かして追い詰め」、保護者も家庭で「期待して追い詰め」られたら、子どもにとっては辛いですよね。精一杯頑張っても結果が出ないこともあるのは、大人だって同じことなのに、どうして子どもには期待しすぎるのですかね。勝ちっぱなしの人生なんてあるはずがないのに。

当塾には、松尾圭先生という数学を担当している先生がいます。千葉大学「飛び級第一号」の彼は、「受動的な人生の選択」をしてきたそうです。

  • (父親に「こういう試験が始まるよ」といわれたので)千葉大学飛び級の試験受験(合格すると思わなかった)
  • (宇宙物理学を学んでいたが、誘われたので)DVの予防啓発活動を千葉県と行う
  • (誘われたので)学生時代からweb制作会社に就職
  • <宇宙物理学よりも社会科学に興味が出たので>大学院に再入学(自然科学研究科)
  • (誘われたので)千葉県知事を退任したばかりの堂本事務所に入り、秘書的な仕事をしたり、国際会議に参加したり、関係する論文を読む
  • (誘われたので)熊谷千葉県知事が千葉市長時代に事務所で働く(4年間)
  • (誘われたので)Sアカデミーで講師をする(現在5年目)
  • (誘われたので)千葉市から委託を受けている「生活困窮者の自立支援」の仕事を行う
  • (必要に迫られて)専門学校に通い、社会福祉士の資格を取得する

17歳の時の選択と、現在の状況は全く異なっています。松尾先生とはよく食事に行くのですが、充実した人生を過ごしているのですよね。話をしていると、彼がどの場所でも決して手を抜かずに、精一杯の力で勉強や仕事などに取り組んでいたことが分かります。だからこそ、「受動的な人生の選択」で「人生のステップアップ」をしてきたのだろうと私は感じています。

最後に、松尾先生のコメントを紹介します。

  • 確かに人生・学びの選択に一貫性がないように見えるかもしれませんが、そのときに興味関心があったことに手を抜かずに学んできました。1つのことを学ぶと、新しい景色が見えてきて、自分の次の課題が見えてきます。そしてそれを学ぶと、また次の課題が見えてきます。このように、ひとつひとつを手を抜かず、学び続けることをしてきた結果が、今の自分になっています。学びの本質というのは、そのようなものではないでしょうか。また、私は受動的に身の振り方を決めてきて、大抵のことはなんとかなってきました。これは、その場その場で手を抜かずに学んできたから、なんとかなってきたのだと思っています。

 

2023.09.12

私立高校の人気が続きそうです(2024年度千葉県入試)

私立高校人気の傾向は2024年度入試も続くようです。

併願推薦を廃止したり、併願推薦の基準を高くしたりする学校が6校あります(もっと増えている可能性あり)。その一方で、2023年度入試では千葉県の公立高校は40%以上が二次募集を行いました。つまり、通常の入試では全員が合格したわけです。(倍率1倍以下で不合格は、基本的に欠席とか喫煙などしかありません)。この私学ブームはさらに続いていくようです。

学習塾を開業し、高校に営業に行きました。中学生がいる学習塾ではなく、高校生の案内として伺うと、進路指導部長とお話ができることが多く、中学生に進学を勧められる高校も見えてきます。

数年前から高校訪問を始めましたが、公立高校と私立高校との大きな違いは危機感でした。「どうして貴校ほどの高校が危機感を持っているのですか??」と思うような、生徒募集で苦労していない学校でさえ危機感を持っています。「10年後、残っているか不安ですよ」と話す高校もありましたが、危機感を持っている高校は取り組みがポジティブに進んでいるようです。そして危機感が学校単位であり、属人的なものではなく、学校内の雰囲気がよかったですね。

一方、公立高校には危機感が私立高校に比べると低い印象があります。もちろん、ひとり一人の先生方は優秀であることは分かっていますし、経験値が賞味期限切れとはいえ、私も20年間も公立高校で働いていたので、公立高校には能力の高い先生方が多いこともよく分かっています。そして、先生方は極めて多忙なほどの働きをしています。(私が勤めていたときよりも多忙は極めていると聞いています)だから怠けているわけではありません。

私立高校と公立高校とでは方向性が違うように私は感じます。

公立高校は「横」を意識しすぎていないでしょうか。「他校はどうなっているか」「他校にはない特色を出そう」「国公立大学合格100名を目標にしよう」など、「横」を意識しています。また校長先生の中には、「自分の任期中に実績を残そう」という意識の人もおり(本人は否定するだろうけど)、それは現場に悪影響を及ぼします。(「立派だな」と思える校長先生の高校はしっかりと志願者が増えます。) 公立高校の校長の役割は「支店長」であり、「社長」ではないということを、校長や任命者は自覚すべきだと私は思う。経営責任も持っておらず、2~3年で交代するトップが独自性を出せるはずなどないのです。

一方、私立高校で現場の状況を伺うと目の前の生徒のことを見ています。「今年はこういう希望の生徒が多いので、○○という取り組みをしているんですよね」という話を聞きます。「近隣の高校との違いを出すために○○をする」という話を聞いたことはありません。また、伸びている学校は進学補習を予備校に丸投げせず、自分たちで行っていますし、教科内での授業研究も行っている高校もあります。私立高校は校長をトップとした民間企業だから、トップが方向性を出して、それに先生方が賛同して動けば、すばらしい取り組みができます。進学実績は日常の教育活動の延長線上にあり、合格者数そのものが目的だと聞いたことはありません。

もちろん、すべての私立高校がすばらしいとは思っていません。理事長や校長が教育哲学を持ち、それを現場の先生方が納得している私立学校が強いのでしょうね。それが私立高校の個性であり、その個性が開いているケースが増えてきているのでしょう。

2023.06.22

保護者メルマガ

Sアカデミーチャンネル(https://www.youtube.com/@user-qd8rl9oi5)がYouTubeにあります。コロナ禍の時に「全国の中学生に役に立つ学習ビデオを作る」という気持ちで始めましたが、この頃は迷走しています(苦笑)

 

拙著『短文で覚える中学英単語1900』(文英堂)もおかげさまで年間1万部ほど売れております。学参の中で1万部というのは大ヒットで、それが3年続いているのもありがたい限りです。同書は300文を覚えることで、中学校の文法(これは高校の基礎にもあたります)と単語をマスターできる一冊です。ただ、文を覚えるためにはその文の意味が分からなければならないので、そのための学習ビデオを作り、現在は販売しています。

 

「文の意味」が分かる/分からないという違いは何か。もっというと、「文法」とは何か。「文法」を勉強するとはどうすればいいか。さらに突き詰めると「分かる」という認知は何なのか、ということに行き着きます。そうすると、文法理解(英文理解)の方法論が分かります。

 

「分かる」ということは何か(認知の問題)

「新しいことが分かり、理解する」には、どうすればいいのか(認知カウンセリング)

という認識を持たずに、英語を教えることは、学習者のポテンシャルに頼っている指導と呼べないような「ご指導」に過ぎません。ちなみに、「この方は教えるのが上手だな」という先生は、学問的なバックグラウンドがなくても、経験から「認知」について理解されているような気がします。授業はノリや勢いでできるものではなく、認知や哲学をベースにして、実践すべきものです。

 

英語を教えるということは文法の解説(「名詞的用法は~すること」)をして、問題を行い、答え合わせをするということではないのです。特に中学生の時には、どの時期に「どのような教材」を「どのように教え」、「どのような順番で定着を図り」、「どの段階で復習をするか」ということが大切になります。

 

基礎からやり直すための動画をYouTube上で『超基礎英文法シリーズ』としてアップしています。文法理解の順番を意識した並びになっていますので、よろしければご覧下さい。

ずいぶんと前置きが長くなりましたが、チューターが作ってくれている「Sアカデミーチャンネル」をどうか登録して下さい、というお願いでしたm(__)m

2023.06.12

絶対評価と相対評価と公立高校入試

今から20年ほど前に、小中学校の評価が「相対評価」から「絶対評価」に変わりました。「相対評価」とは、40人学級なら「5が3人、4が9人、3が16人、2が9人、1が3 」ときまっていました。一方、絶対評価なら「○○ができれば5,△△ができれば4」というように、「基準」に従って点数が決まっている、、、はずでした。しかし、現実は全く異なっています。

文科省のサイトにこのふたつのサイトの違いがあります。

強引に要約すると、「「生きる力」を育成することを重視」するので、「学習指導要領に示す目標に照らしてその実現状況を見る評価を一層重視」する。そのため、「「集団に準拠した評価」(いわゆる相対評価)から、「目標に準拠した評価」(いわゆる絶対評価)に改めた」ということです。その思想は心から理解します。

ところが、絶対評価の「基準」が全く示されていません。すべてが抽象的で、現場に判断を委ねています。文科省が出しているものは「基準」ではなく、「規準」であり、音を同じにして世間を欺いているようにしか私には思えません。「評価の客観性や信頼性を確保する上でも、集団に準拠した評価によるよりも、目標に準拠した評価の客観性を高める努力をし、それへの転換を図ることが必要となっていること。」と文科省がいうのであれば、文科省自体が「評価の客観性」を具体的に示すべきです。

ここに現場の苦労があります。仕事や雑務が増える一方で、教員数は増えません。ひとり一人を見ることは大切ですが、その前提が守られていないという「経営者側」の課題を情熱で乗り越えている学校の先生に心から敬意を表します。

絶対評価が導入されたとき、中学校から送られてくる調査書(いわゆる内申書)を見ていると、その評価の平均が学校によってまちまちでした。ある学校は、「学校平均が4」のところもあれば、相対評価の数字を踏襲して「学校平均が3」のようなところもありました。そのため、合否ボーダーでは学力検査(入試)よりも、「どの中学校の出身か」できまってしまうという、入試の公平性が揺らいでいたのです。(現在ではほぼ是正されています)

他の都道府県ことはよく分かりませんが、千葉県は内申点の割合が低いので、影響は低かったのでしょうが、内申点の割合が高い地区は混乱があったでしょうね。

2023.06.11

「高校名」が「学力」とは限らない

チューターのC君と話していて、とても納得したことです。彼は、千葉大学附属中学→開成高校→慶應大学(理系)という進学をしています。周囲からは「すごいですね」といわれるようですが、高校時代には苦しい経験をしてきたようです。

彼を苦しめたのは「開成高校に通っているから、このくらいのことは分かるよね」という周囲からの思われ方と、実際には自分では分かっていないのに「もちろん、そのくらいは分かりますよ」というふりをしていたことだそうです。そして、次にも「これは理解できたよね」といわれると、分かっていなくても「はい」と答え、さらに「理解できたよね」「はい」となり、これが続くと「周囲から見られる自分」と「実際の自分」との差が広がり、自分のプライドが邪魔をして、「実はここが分からないんです」と話せなく苦しんでいたとのことです。

また彼自身も、自分ができていない問題を、○○高校(自分の学校よりも学力の低い高校)の生徒ができていると「え、、、」と思うと同時に、「あ、自分も高校名でその人のことを判断していた」と恥ずかしい気持ちになったようです。分からないところは分からない、といえる環境・雰囲気は大切です。「その学校」と「自分の学力」が一致してないことは多くあります。そして、それに苦しんでいる高校生も少なからずいます。特に英語と数学で。

私たちは少人数授業のため、分からない部分は講師が把握できます。だから、弱い部分をサポートすることで、さらに伸びていきます。「高校2年生の時にSアカデミーに来ていたらもっと勉強が楽しかったと思う」 そういう彼の思いに応えられた当塾であるとともに、これからも応えていく学習塾でありたいと思っています。

2023.05.22

中学生の英語学習のコツ

英語の語順から入りましょう。中学1年生は語順から入り、細かい文法事項をパターンプラクティスを通じて獲得していくことが必要だと私は思います。難しいことにチャレンジするよりも、語順とパターンプラクティスがこの時期には大切です。

中学2年生以降は抽象度の高い文法事項、不定詞や動名詞、比較や現在完了などが入ってきますが、それは全て語順にはめ込みます。

ここが大切。

文法を単体で勉強しても、文章の中で理解するためには、語順の中に落とし込みます、この不定詞は目的語の役割をしているから名詞的用法だとか、この動名詞のグループは主語の役割をしているとか、この副詞節は「いつ」を表しているから副詞の役割をしているとか。

文法は説明を受けて、問題をするだけでは身につきにくいもの。語順と関連付けることによって、理解度は深まっていきます。