Chief blog塾長ブログ

2022.05.12

学校の外部からの仕事はやめよう

「元教師」という肩書きも賞味期限が切れてきているが、現場の先生方が言いにくいことを書いてみたい。

大前提として、私は学校の先生は全く世間知らずだとは思わない。時間を守る、仕事には真摯である、まじめである。もちろん、誰しもが聖人君子ではないのであらを探せばいくらでもあるが、それは人間そのものであるだけだ。

民間企業(創立約40年)の会社の代表になってから、多くの人と会う機会ができた。銀行員がまじめかというと、それも人による。代表になった直後に取引先銀行(地銀)の担当者は、約束の時刻より数分ほど遅刻をしてきた。それを謝ることもなかったので、「10時30分に約束でしたよね」というと、時計を見て彼は「そうでしたよね」とひと言いうだけであった。その後に変わった営業氏も約束を破るのでクレームを入れたところ、副支店長が謝罪に来た。その謝罪の時刻も10分以上の遅刻。(結局、その銀行とは取引をやめたが、卒業生校が入行したので取引を再開したけど) これ、学校の先生だったら100%ありえないような案件ですよね。

「学校の先生は世間知らずだ」という人は、その人自体が世間知らずのことが多い。もちろん銀行員も、学校の先生も、十把一絡げにすることはできない。しかし、トータルで考えると学校の先生はまじめで、真摯であると私には思われます。ただ学校は性善説で物事が進むために、性悪説で進む世間との乖離はある。(実際、私もそれで現職になった当初は苦労した)

そんな先生方だからこそ、仕事に手を抜けない。自分たちがやりたい仕事・生徒のためにやるべき仕事だけで進むならいいのだが、「研究指定」などの外部的な仕事が入ってくる(多くは校長が持ってくるというか、依頼されて引き受けるというか)と困ってしまう。しかも、「はじめるとき」は一瞬なのだが、「やめるとき」が分からない。昨年度も行ったから今年度もやりましょう、そして今年度には新しい仕事が入りました。その翌年度には、、、となり、「外部の仕事」が多くなり、これがキツくなる。

ルールとして、外部の仕事は年限(最大で3年以内)を決める、その期間は定員を増やすということができないだろうか。授業と担任、校務分掌、部活動以外は原則的にやらないという姿勢を示さない限り、学校の先生になりたがる人は少なくなるだろうし、定着率は下がるだろう。授業だって、LHRを含めて週15時間を上限にできないか。

土日の部活動には1分単位での「休日出勤手当」を出すことが当然だ。出勤する管理ができないのならば、出勤させてはいけない。ちなみに、トラブルになったときの責任の所在はどこにあるのか? これは民間の経営者の視点で最初に考えられるところだけど、それを意識せずに土日に職員が学校に来ているという状況は「世間知らず」だけど、その「世間知らず」は、雇用者である自治体や文部科学省に投げかけられるものだろう。

学校の若い先生に集中してもらいたいのは、担任と授業。校務分掌の中心は、担任を持っていない先生が引き受ける。それ以外の仕事は二の次でいいし、外部の仕事は原則廃止でいい。教員免許状の更新制がなくなったのに、それに代わる「研修」を求めるのもおかしいだろう。「研修」がアップデートを求めるものならば、毎日の授業の準備それ自体や、担任としての仕事の積み重ね自体が「研修」そのものなのだ。

担任と授業が学校のコアとなるものであり、どんな組織でもコアに力を入れなければ、継続性は失われるものです。

2022.05.06

塾・予備校講師的職業的倫理観

昔からいわれていることを、さも自分が発見した、自分の所属しているところでは、という講師がいる。その是非を問うものではないので深くは入らないが、ご存じのあの方のことです。確かに、onは「接する」とは多くの人が学生時代に習ったことで、「新たな発見」ではない。「石の下には小さな虫がたくさんいるんだよ!」と、子どもが庭で誇らしげにいう「発見」と同じレベルだろう。

件の講師のいうことに、「そんなことは新しい発見ではないだろう!」という当然の突っ込みがでる。昔の参考書にも書いてあるし、「そう習ってきた」人たちも少なくないからだ。「誰に小さな虫がいることを聞いたの?」という問いに「自分で!!」と子どもが答えるならば微笑ましいが、いい年の大人が自分の発見のようにいうのはおかしいということは当然のことだろう。

ただ、これが法律違反なのかというと、そうではないでしょう。関係者はきっと職業的倫理観が異なるから反応してしまうのでしょう。この職業的倫理観は人それぞれだし、自分のポジションを正当化できるものだから少し面倒くさい。

この職業的倫理観を前面に出すと少し皆さん、面倒になりませんか? 塾や予備校の倫理観はどうなのかなと私は思うことがあるわけです。えげつないことをしていませんかね。いちばん感じたのは、コロナ禍で休校が決まっているのにも関わらず、ギリギリまで既卒生を募集していた大手予備校。休校期間に報酬を保証されていた講師の先生方にとってそのお金を受け取ることは職業的倫理観には抵触しなかったのでしょうか。
既卒生がどんどんやめていく状況はどう思うのか。生徒の名前と顔が一致しないことはどう思うのか。東大に入れそうな生徒を無料の「特待生」にして、その生徒たちの実績を前面に出し、有料の生徒を入れることはどう思うのか。自分たちが働いている組織のことは何とも思わないんですかね。不祥事を起こした講師をHPからスッと削除するところだってありましたよね。

「それは生活があるわけですから」というのであれば、自分が傷つかないような「職業的倫理観」を前面に出すのは大人げないかなぁ。もちろん、「自分たち独自なものだ」という人が正しいといっているのではなく、ポジショントークと思われることを絶対安全地帯から正義感の顔をして批判をすることは、大人の振るまいとしていかがなものかと思っているだけです。

自分の理想を前面に出すならば、自分で塾を起業すればいいだけですよね。もちろんリスクはありますが、思い通りのことはできます。(私は起業する人と政治家に立候補する人には敬意を持っています)

そうですね、私は自分にとって理想だと思うことを進めていくだけですかね。

2022.04.21

「高1ショック(英語)」を回避する方法

高校1年生の授業はおそらく本格化していないでしょう。入学式の後で、学年集会やガイダンス、健康診断などで授業もつぶれることも多いでしょうから、ゴールデンウィーク前までの授業はゆっくりと進んでいきます。しかし、本格化していないこの時期の授業でさえ、難しくなってきているのではないでしょうか。

高校生になると、「分からない」ポイントがひとり一人違います。「高校生としての英語」を学習していくための土台が中学校の時にできあがっていないため、高校での英語が身につかないのです。世の中に「基本的な参考書・問題集」を意識しているものは少なくないですが、効果が出にくいひとつの要因が、「土台作り」を著者に見えていないからです。これは、生徒を観察しながら授業を作り上げている高校や塾・予備校の先生しか分からないでしょう。

高1ショックのいちばんの原因は、「分かっているようで分かっていない部分」「分かっていないのに、分かっているふりをしている部分」なんですよね。

例えば節と句の違い。「これは理由を表す副詞節で・・・」と授業でいわれれば、生徒は分かったように振る舞います。だって、周りを見ればみんな分かった顔をしているから、本人も分かった顔をしているわけです。

that節もそうです。比較的、I think that SV.に代表されるような動詞の目的語のthat節は分かりやすい。補語もやや分かりやすい。ところが、名詞と同格のthat節や、I’m sure that SV.のように副詞節を導くものとの連携になるとお手上げ状態になる。that SVを「SVということ」と覚えていると分からなくなるんだけど、だったらI think that SV.のthat SVを「SVということ」と教えなくていいのかというと、そうでもない。こういう部分は、教える側が「こう教えるべきだ」「このように理解すれば分かるようになるよ!」とするのではなく、生徒の反応を観察しながら教えていく必要があるところです。だから、与えられたテキストだけで教えてはダメで、自分で教科書を「料理」しなければならない。

このように、生徒を観察すれば、英語の「高1ショック」を引き起こさせないことができるのです。そして英語の高1ショックを回避できれば、高校生活も楽しくなるし(勉強が分かれば学校生活は楽しくなります)、大学受験も乗り越えられる可能性が高くなる。

現在、Sアカデミーの高校1年生の授業は、「高1ショック」を乗り越える講座になっています。今いるメンバーを見ると、1学期だけで問題がないでしょうから、そのメンバーは夏休み以降はほかの先生にお任せすることで、「脱高1ショック」→「発展的高1英語」にランクアップし、新規講座を夏休みから始める予定です。

2022.04.13

公立高校入試で恣意的な合否判定は可能か?

もう過去の話になってしまうが、医学部を中心とした「女子受験者差別」の話を聞いたとき、「まさか、入試で不正はできないでしょ」と私は思いました。20年間にも及び高校という現場では、不正入試はありえないことであったので、大学でも同じだろうと思ったからです。もちろん、一部の私立大学ではあるというウワサを聞いてはいましたが、まさか国公立大学で、、、とは衝撃でした。

公立高校入試(千葉県)では、不正がありえない理由を書いていきます。

  1. 全ての答案が2~3回(別人)の答案チェックを受ける
    答案は1回の採点ではなく、最低でも2回は行われます。しかも、一人ひとりが担当する箇所は極めて少なく、漫然と採点ができないようになっています。採点を終えると、自分が採点をしたという証拠として印鑑・サインをするほど責任の所在も徹底しています。今年は2022年度入試でしたから、一の位である「2」の受験番号(2,12,22,32など)は「抽出答案」として細かく分析を受けます。その採点は3回目のチェックを受けます。万が一、この3回目のチェックでミスが見つかったら、全教科・全生徒の採点をやり直します。このように、ミスはありえないのです。
  2. 全てが点数化される
    数年前までは、面接など点数化しにくいものはA~Cという評価になっていましたが、現在は全て点数化されています。よほどのことがない限り、面接でCがつくことはありませんでしたが、3人の教員の評価がBCCという場合であっても、それが原因で不合格になるということはなくなりました。最近はAは7点、Bは5点、Cは3点のように、全てが点数化されており、Cをつけたときには、判定会議でCという評価の理由を当該教諭が求められることもあります。
  3. 判定会議では必要な情報のみが判定書類になる
    合格発表の前日に、「判定会議」という職員会議が行われます。このときに職員に渡される書類には、受験生の「受験番号」「学力検査の点数(各教科・合計点)」「内申点の合計」「特記事項」(点数化されるもの、されないもの両方)だけです。その受検生の中学校名や名前は一切、表には出ません。知り合いだからなんとかしてあげよう!とは校長でも不可能なのです。そして、採点された点数などをデータとして打ち込む作業も、1人ではなく複数人で行われ、何回ものチェックを受けてから会議に提出されます。
  4. 合格は全て点数で決まる
    受検生は、合計点(内申点・学力検査点・特記事項・学校独自の試験など)で上位から並べられます。そして、基本的に点数で上位から決まり、350点合格、349点不合格のように点数で全てが決まります。ここでも「349点の生徒は地元中学校だから、合格にしましょうよ」とはなりません。ただし、点数が350点で並んだときには審議となりますが、おそらく多くの学校で、「同点の場合には学力検査の点数を優先する」などのルールが決まっているでしょう。

このように、採点から審議まで、合否判定は厳密に行われ、恣意的な合否判定はできないようになっています。

それに、です。万が一、恣意的な合否判定が強引に行われたとしたら、間違いなく何らかの形で社会に出るでしょうね。

2022.04.08

新年度にあたって

新年度にあたってといっても、すでに8日。早いものですね。4月1日(金)は本社で辞令を交付し、新しい係の発表。昨年度は保険を使わない程度の事故1件がありましたが、今年度はトラック10台が1年間、無事故で運行をし、誰も怪我をせずに業務に当たれるような環境を作っていきます。私ができることは、従業員が気持ちよく働くことができる環境作りをすることです。

Sアカデミーは、継続してくれる講師、新たな仲間になってくれる講師が入りました。明日から先生方を紹介していきます。

2022.03.25

既卒生募集しています

4月からの既卒生を募集しています。当塾にあう既卒生は次のようなタイプの生徒です。

  • 少人数授業(1クラス数名)で授業を受けたい
  • 自分専用の自習机がほしい
  • 1年間、続けられるかどうか不安なので支えてほしい
  • 講師に名前と顔を一致してもらいたい
  • 親身になってくれる力量の高い講師と学びたい

一方、次のような方は合いません。

  • 大手にいくと安心だ
  • 知名度が高ければ、それだけで安心だ
  • 大手予備校の先生は、すごいはずだ
  • 担任は別に必要ない

当塾は、学力にかかわらず、当塾で学びたいという中高既卒生を募集しています。自分の人生を自分で切り開き、志望校を母校にしたい人からのご連絡を待っています。043(306)9241までお気軽にどうぞ!

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2022.03.17

予備校選びのコツ(既卒生編)

今から四半世紀前、予備校街には『浪人生』があふれかえっていました。私も当時はその一人で、高校の卒業式の後に新しい気持ちで勉強するというよりは、「あ~ぁ」という気持ちでした。ゴールデンウイークは雨が降っていたので、それを喜ぶ自分もいました(苦笑) 古い経験ですが、『自分が浪人していたときにこんなサポートがあったらな』という思いがSアカデミーの既卒生クラスの基礎になっています。

既卒生の面談も始まり、「Sアカデミーの強みはなんですか?」と尋ねられることも増えてきました。確かに大手予備校の知名度に比べると不安だし、本当に大丈夫か分からない。それなのに合格実績が出ているのはなぜ?という疑問は当然のことです。

「強み」という言葉が適切かどうかは分かりませんが、普通のことを普通にしているということです。生徒の出席を管理し、基礎から学ばせ、自習室を提供し、雰囲気に違和感を感じたときにはすぐに面談を行っていく。今年度からは講師間の横の繋がりも強化していきます。勉強は押しつけるのではなく、自分で学ぶ環境を作り、質問があるときにはすぐに講師に聞くことができる。そういうクラスを作っているだけです。別に特別な魔法があるわけではなく、普通のことを普通にしているだけです。知名度や生徒数ですべてが決まるなら、カップラーメンが最高のラーメンになるでしょうが、私たちが目指すのは、自分たちで出汁を取り、いい麺を使い、おいしい1杯を提供する専門店です。その結果として、既卒生クラスを始めてから「完走率100%」(最後までドロップアウトせずに学習を継続できた)で、今年度は8名の既卒生ながら「早慶6名、理科大3名、GMARCH2名そのほか多数」という圧倒的な実績でした。

これから数万人以上が「浪人生活」を始めるでしょうが、かなり多くの人が途中でドロップアウトするそうです。「するそうです」という伝聞系なのは、どの塾や予備校も「ドロップアウト」(中退率)は発表しません。もっといえば、塾や予備校には「中退」という定義もないでしょうし、授業料を納めていれば形式的には「在籍」となるでしょう。出欠管理は、卒業進級がある学校は管理しますが、塾や予備校はそれほど管理しません。既卒生にとっての最初の危機は9月です。共通テストの申し込みがあり、受験が現実のものとして迫ってきたときに、気持ちが少し不安定になります。次に12月。受験の手続きが始まるこの時期は、当然のことながら緊張感も高まります。学習のギアを高めなければならないこの時期のメンタルの安定と学習時間の確保の両立はこの1年間でもっとも大きな課題になるでしょう。

この記事を見ている皆さんが、「カップラーメンは売れているから信頼できる」というのであれば、売れているところがいいでしょう。カップラーメンを好むなら、「君なら大丈夫だ」「普通にやれば点数は伸びる」といってくれるので、「知名度+言い切り」という安心感と親和性が高いと思われます。ただ教育学や心理学を学び、教育の実践家として長く続けてきた私は、講師が生徒の名前と顔が一致しなかったり、教員免許すらもたない事務スタッフが担任という役割だったりするのは、教育としての基本ベースもないところだと思います。

1年間の予備校生活をするのであれば、次のようなところが大切になるでしょう。

  • 生徒の名前と顔を講師が一致できるほどのクラスサイズ
  • 生徒が来なくなる率(ドロップアウト率)を答えられる
  • 生徒との面談はプロ(教員免許状保持者や臨床心理士など)が行う
  • 自習室が充実している

勉強は皆さんが行うものであり、その場の知名度が行うものではありません。来年の受験を目指して頑張っていくという皆さんの覚悟を受け止め、サポートしてくれる塾予備校を見つけられるといいですね。

 

2022.03.14

あるべき自分に落ち着く(中学3年生への最後のHR)

私はLHR的な話を生徒にします。「LHRは『担任という宗教の時間』だよ」といわれたことがありますが、それに近いかもしれません。親が言いにくいことを話したり、彼らの持つ悩みが自分だけではないということを話したり、時には中学生的に理解できる人生の甘酸っぱさも(笑)。これは中学生としての彼らに宛てた最後の文章です。

子どもが生まれたとき、親はいろいろな心配をします。歩くのが10ヶ月だ、11ヶ月だ、12ヶ月だと他の子よりもちょっとでも早ければ喜ぶし、遅ければ心配する。おむつが外れるのが2歳前だと誇らしげになり、3歳過ぎると心配になる。今になってみれば、「なんでそんなことを気にしたのか?」とみんなは笑うかもしれないけど、親ってこういうことになぜか真剣になる人が少なくない。当然のことですが、皆さんの中に、歩けない人はいないだろうし、おむつの人もいないでしょう。親だって「なんで数ヶ月の差を気にしていたのか」を思い起こせばで笑ってしまうと思います。(かくいう私も、長女が積み木を噛んで口の中にうっすら血がにじんだだけで、救急車を呼んだ経験があります;笑)
親の心配は、思春期にピークを迎えます。皆さんは親との関わりよりも友人との関わりを大切にする部分が増え、親にいわない「ヒミツ」が生まれてきます。これは人間の発達段階として当然のことですが、親は親でそれは心配になります。ヒミツにしていいことと、ヒミツにすると大やけどしてしまうことがあり、ほとんどは「ヒミツにしていいこと」なのですが、時には「大やけど案件」もあるから親は心配なのだといいつつ、その裏には子離れできない現実もある。
思春期の若者との関わりを仕事にしていると、「親の心配vs子どもの自立」のせめぎ合いをよく見てきます。保護者の方は悩むことも多いかもしれませんが、あと数年もたてばおむつや歩行と同じように、「なんであんな風に心配していたんだろう」となりますし、そもそも私たちだって思春期の時はそうだったのではないでしょうか。私なんて、今の子どもよりも、ずっっっっっっと面倒くさかった自信があります(笑) 中3生の皆さんは、そういう親の心配を納得しつつ大人になってほしいし、20年とか30年もすれば、同じような「悩み」を持つかもしれません(笑) だからこそ、たまにで構いませんので、保護者の方に本音で話をしてみましょう、それが親孝行です。

ずっと先のことになりますが、50歳になるときには、どんな学校を出ようと、どんな就職をしようと、居心地の良い「あるべき自分」にいるのではないかと思います。「何か自分でやってみたい」という思いは高校生の時から持っていた私が教員を辞して会社を継ぎ、自分で起業し、これからも会社を発展させようと新規事業を計画しています。そしてそれが今はともかく楽しい。おそらくどんな大学で、何を勉強したとしても、なにかを計画し、発展させるという自分の「星」は変わらなかったと思う。
周囲の友人も同じです。中高と仲の良かった友人は、大学で外国語を勉強していたと思ったら、20年後には医者になっていた。金融機関に就職した友人がwebデザインの会社を起業していた(彼が当塾のHPを作っています)。証券会社に勤めていた友人が太陽光発電の会社を起業していたり、投資家になっていた。ゲーム開発をしていたと思ったら、某スポーツの実況中継アナウンサーになっていた。公務員になったと思ったら、今でも公務員だった。みんな落ち着くところに落ち着いている。それぞれみんな生きがいをもって生きています。

おそらく君たちも同じことです。今は4月から入学する高校に一喜一憂していることでしょう。今週には高校での説明会があったり、鬼のような分量の課題があったりし、今までの友人関係も変化がでてきます。卒業・進学は大きなイベントではありますが、それで人生が始まったわけでも、終わったわけでもなく、あえていうなら「刺激」のようなものです。自分が進むべき道へ進みなさいよ、という「刺激」のようなものです。
人生を豊かにするためには、自分自身を鍛えることだけです。思うだけではなく、実際に活動したり、勉強したり、友だちと話をしたり、読書をしたりして力を蓄え、社会に出たときにそれを生かしていく。(社会に出ても勉強は続けなければならないけど) それが自分の人生を豊かにするだけでなく、周囲の人の人生も豊かにし、その延長線上には世の中の繁栄につながっていくと私は信じています。皆さんの力は皆さんのものでもあるけれど、世の中のためのもの=公共のものでもあるのです。だから勉強は自分たちのためだけに行うのではなく、社会のために行わなければならない。
どの場所でも自分を鍛えられる人、自分のなすべきことをできる人が立派だと私は思います。たまに高校の先生でいました、「うちの学校の生徒だと勉強を教えても無理だよ」という人が。そういう人はどの学校でもたいした授業なんぞできません。本当にできる人、尊敬される先生は、どの学校でも生徒の成長を援助していました。どの場所でも自分の役割は見つけられるし、果たすことができる。そのためにも基礎学力を充実させ、自分の力を高めていくことを心から願っています。

2022.03.12

恵贈御礼(新Aクラス中学英語問題集、昇龍堂出版)

山田雄司先生(軽井沢風越学園外国語スタッフ)より、新著『新Aクラス中学英語問題集』をご恵贈いただきました。

山田先生からは「例文や語彙にこだわってつくりました」とご案内をいただきましたが、確かに例文や語彙の選定にも勉強になりますが、それと同じように問題の作りにも工夫があります。to不定詞では I went to Kyushu.をI wanted to go to Kyushu, but I couldn’t.の書きかえ問題など、なるほどなぁと思いました。

問題文の語彙もおもしろい。たとえば、「私は低脂肪乳をどこで買ったらよいかがわからなかった」という問題があります。「牛乳」ではなく「低脂肪乳」と使うことで、low-fat milkという表現を覚えられます。文法を学ぶだけでなく、覚えるべき単語を組み込んだ問題作りにはずいぶんとご苦労があったろうと推察します。問題も暗唱するのにほどよく、長すぎず、短すぎず。

最難関中学校を意識した問題集とのことですが、文法自体が難しいのではなく、いろいろな角度から問題を問うて、単語と理解を深めていく工夫された一冊になっています。自称専門家が作った参考書・問題集が多い中で、久保野先生など本物の先生方が作った問題集です。作りの派手さがないことも私は好きです。京都大学の柳瀬先生のライティングの授業を見学したときに感じた『本物感』と同じ『におい』を感じました。

当塾でも、中学生で英検2級の力をつけさせたいと思っているので、そういう生徒と使用することにしました。難関高校を目指す中学生は『新Aクラス中学英語問題集』を学習することをお勧めします。

山田先生、ありがとうございました!

2022.03.08

中学3年生の皆さんへ

塾や予備校というのは「イメージ商売」の部分があります。「合格実績」がなければ生徒は集まりませんし、かといって、すべての生徒が合格できるわけではありません。だから、入ればみんな合格できる!というイメージを持たせるような「イメージ商売」の部分があります。問題となった(なっている?)ような合格実績の水増しや授業料を必要としない特待生の制度を大手になればなるほど作るのは、そういうことです。

当塾は合格実績の水増しや特待生の制度は一切ありません。成績が高い生徒も芳しくない生徒も、私たちを頼ってくれる生徒に区別はしません。ただ合格実績をPRせざるをえないのは、当塾が継続していくためであり、その継続することで、少しでも多くの中高既卒生に学力をつけていきたいと思っているからです。

ただ、私のポリシーは次の通りです。当塾の中学3年生に宛てたメッセージをご覧ください。

 

中学生としての皆さんとの学習も終わりました。中学生的な発達段階を経て、この数ヶ月間のみんなの学習はすばらしいものだったと思っています。学習時間と高い集中力。自習室でのその姿をみていると、自ずと授業の準備に私たちも気持ちが入りました。そして、皆さんは人間的な優しさにあふれています。周囲を思いやる気持ちがところどろこにあふれていて、そのたびに私も柔らかい気持ちになれました。その中学生活をまもなく終える皆さんに敬意を表するとともに、祝福をお伝えします。そして、サポートをなさっていた保護者の方には心から感謝申し上げます。

「努力は必ずしも報われるものではない」のは羽生結弦選手だけではありません。高校受験というひとつの課題を終えて、皆さんもそう感じているのではないでしょうか。合格した人も運が良かったからという部分もあるでしょうし、不合格だった人もおそらく紙一重だったと思います。結果というものは、「紙一重」のことがほとんどであり、最終的には運次第ということは大人なら誰でも分かっていることです。ただその「紙一重」までのステージに上がるためには努力が必要であるということも辛いことです。最終的な「運不運」はコントロールできないので、オカルト的な宗教がはやったり、「占い師」に頼る人がいるなど、人生経験を重ねた大人でも最終的な結果は不安であり、左右のどちらに行くかに自信を持って選択できる人は極めて少数です。

私の好きなことわざに「塞翁が馬」というものがあります。どんな話か、少し長いですが紹介します。(https://www.860903.jp/contents/trivia_2より)

中国の北のほうにお城がありました。そこに住むおじいさんの馬が、ある日逃げ出してしまったのです。逃げ出したことを知った近所の人々は、おじいさんを慰めました。しかし、おじいさんは「このことが幸運を呼び込むかもしれないよ」とあまり気に留めていませんでした。しばらく経ってから、なんと逃げた馬が戻ってきました。しかも、たくさんの馬を連れて戻ってきたのです。近所の人々は、喜びましたがおじいさんは「このことが禍になるかもしれないよ」と言うのです。しばらくすると、おじいさんの息子がその馬から落ちて怪我をしてしまったのです。近所の人々がお見舞いに行くと老人は「このことが幸運を呼び込むかもしれないよ」と言いました。やがて戦争が起き、この城も戦争に巻き込まれてしまいました。しかしおじいさんの息子は足を怪我していたので、戦争に行かずに済みました。
このエピソードから人間万事塞翁が馬ということわざが生まれました。

今回、志望校に行く人が充実した高校生活を送れるとは限りませんし、結果的に私立高校に行くことになった人が充実しないとは限りません。新たな場所でどんな友人と出会え、先生方と出会え、何を学び、何を経験していくかで、皆さんの高校生活の充実度は変わってきます。もっといえば、「いい高校を卒業し、いい大学を出て、いい会社に就職し、いい暮らしができるようになる」ことが幸せと直結するわけではありません。お金で不幸を回避することはできますが、幸せを得ることはできないのです。合格できたから安泰、そうでなければ絶望というわけでは決してありません。この意味は数ヶ月後に皆さんは分かるでしょう。

もし、1年前に戻ることができたら、みなさんのこれからの1年間は、実際に過ごした1年間とは違うものになるでしょう。「あの時にこうすれば良かった」というのは、多くの君たちが感じていることだと思います。
これはとても大切なことです。
私たちは実際に自分たちが経験したことから学ぶことが多く、人に言われたことからはあまり学ぶことができません。これは、皆さんのご両親だってそうだったでしょう。人間が他者からのアドバイスを素直に受け入れられるのであれば、人類はもっと賢くなっているでしょうし、世の中には貧困や争いはなくなっているに違いありません。しかし現実はそうではない。成功したという結果よりも、その途中の努力からや失敗したことからの方が私たちは学ぶべきことが多いのです。皆さんには学ぶ人であってほしいと願っています。
高校受験は確かに人生の大きなイベントではありますが、これは最後のものではない。大学受験や就職、結婚など人生にはたくさんの岐路があり、これはおそらく私たちが最後の日を迎えるまで選択を迫られるでしょう。人生が始まったばかりの皆さんにとっては実感がわかないことを承知の上で、そしてアドバイスを人間はなかなか受け入れないと分かった上で申し上げますが、人生は長いし、これで受験が終わったわけではないのです。まだまだ人生はこれからです。

英語で「天職」をcallingといいます。「呼ぶ」のcallにingがついたものです。これは「あなたのことが必要だ」とcallされるところで働くことがいちばんすてきな仕事だからだと私は勝手に思い込んでいます。合格を与えてくれた高校は皆さんをcallしたところです。そこでこれから3年間を学び、力をつけ、社会に出たときにcallされる基礎を作ることを心から願ってやみません

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