Chief blog塾長ブログ

2021.08.13

専門家としての責任

拡大し続ける「新型コロナウイルス」を巡って、「医師」の発言も異なることも少なくありません。脳腫瘍で死んだ父を最初に執刀したのは、脳腫瘍の症例が多い医師ではなく、脳梗塞や脳溢血の症例を主に扱う医師だったため、手術で腫瘍を取りきれませんでした。ちなみに、2回目の手術を行った千葉県立がんセンターではほぼすべての腫瘍を取ってくれたので、「専門家」とはピンポイントでなければ、「専門家」と呼ぶのに値しないケースが少なくないということを父の死ということで学びました。だから、「医師」というよりも、「感染症の専門家」の意見を聞くようにしています。

「理系」の専門家は、答えが数字で表れますよね。また、悲観的なことを想定しながら行動をするし、しっかりとした専門家ほど楽観的なことはいいません。数字は、知識量だけでなく、俯瞰する能力や経験などに裏打ちされた想像力がベースとなっているのでしょう。いい加減な「専門家」は、淘汰されていく運命だろうと信じたい。

その一方で、教育も含め「文系」だと答えが「数字」で現れにくく、たとえ数字が想定と違っていてもいくらでもいいわけができる。遠藤周作さんのエッセイで、星占いで間違った占い師にその理由を尋ねたところ、「この頃は人工衛星の影響で」と返されたとありましたが、結論が想定と違うと文系の専門家はいろんな「人工衛星」が飛んでいることになる。自省することのない専門家は「サロンの住人」になり、経歴や知識などハッタリで生きていくのでしょうね。