2024.01.20
「一回しかない人生なんだから、好きなことをすればいい」というのは無責任だ。たとえ親でも無責任だ、と私は思います。もちろん、「好きなことをした」結果、すばらしい人生を送っている人がいることも知っていますが、それは偶然か、条件が揃っている場合の話です。「好きなことをする」ことで成長ができるのは、ライフサイクルの「学童期」までを順調にこなし、基礎学力(新しいことに興味を持ったり、必要な本を読んだりする程度の学力)を持っている場合に限ります。
学力が低ければ、しっかりと学力をつけなければなりません。学力がなければ、世の中の仕組みが分からないからです。世の中の仕組みが分からなければ、社会の中で生きていくことはたいへんです。
学力が高ければ、生き方を考えなければなりません。「いい中学校」→「いい高校」→「いい大学(院)」→「いい就職」の先には何もありません。出世争い、資産形成をしても、人間は仕事を退職しますし、あの世に資産は持っていけません。
学習塾の経営と(表面的に)矛盾していることをいうならば、「いい高校」「いい大学」に進学したからといって幸せになるわけでもないし、好きなことをしたから幸せになれるわけでもないんですよね、少なくとも私はそう思う。
自分の信念に生きることは若いときには必要だけど、大人になれば人間は教科書通りには生きていけないことがわかり、許容できる範囲が拡がってくる。しかし、人権や尊厳への侮辱は絶対に許してはいけないことも分かってくる。その上で、周囲とコミュニケーションを取り、社会の中の一員としての意識=自分の力が社会のために役に立っているという意識が生きている実感につながるのではないかなぁと思うんです。
多くの人が人生で失敗を重ねるのだから、子どもたちから失敗する機会を奪ってはいけないし、好きなことをして生活できるわけでもないのだから、「好きなことをすればいい」ということも無責任になります。
勉強が得意な生徒には人生について考えさせ、社会の中での自分の役割を意識させる。苦手な生徒には勉強をさせて、自分の力を必要とする人のために能力を伸ばしていく。それが当塾の原点です。